ミニマリストと子育て
もともと、一人暮らし歴が長く、部屋にモノが多かった私。
片付けきれず、散らかって部屋でも、
「散らかり放題なのが私の城」
なんてドヤ顔できたのは独身時代まで…!
結婚して引越した時点で、長年の一人暮らしで溜め込んだガラクタの多くを処分し、
さらに、子供が産まれてから、慣れない子育てに疲れ切っていたところに、
ふと目にしたミニマリストブログに触発され、
「すっきりした部屋ならば、子育てもイライラしない」
という文言に惚れ込み、ミニマリストになるべく猛進した時代がありました。
しかし結局、ミニマリストと子育て、両立できず、ミニマリストを手放すことに。
ミニマリストと子育ては、たぶん、相性はイマイチと感じます。
というか、すごく工夫がいるなあ、と。
私にはその工夫をするセンスも余裕もないと感じるに至りました。
憧れはあったのですが、やはり私には難しかった、と感じます。
子供は無限に散らかす生き物
子供は、
散らかすのが大好き。
ティッシュ箱から、延々とティッシュを取り出し、ポイポイと周りの床にまきちらす遊び。
なぜ、赤ちゃんあれほどあれが好きなのか。
自分の手で握って、引っ張って、ティッシュが出てきて、投げるとふわっと飛んで。
また引っ張ると、出てきて、ふわっとして。
そりゃ楽しくないはずありません。
幼い子供って、そういう身の回りの「実験」を通して、発達していくんですよね。
だから。何もない部屋では、なかなか、学習できないのです。
育児書を読んだら、ある程度モノがある部屋のほうが、幼児の脳神経の発達にも好影響があり、何もないがらんとした部屋は、なかなかシナプスが繋がっていかない?という研究結果の記述を見つけ、
「こどもが、自由に動かせるモノが、ある部屋」
というのは、子供の成長に欠かせないものだと、改めて認識。
そして、子供が動かせるモノがある、ということは、
それが散らかる(しかも無限に)、
ということも、意味してますね…。

ミニマリストにこだわる弊害
ミニマリストであること、部屋がすっきりしていて、モノがない、
ということを、生活の中での最終目標に据えてしまうと、
とてつもなくイライラしてしまう事態になる(特に子育て中)
と、身を以て実感しました。
散らかす子供にイライラし、夫の生活態度にも目くじらを立て、夫婦関係まで悪化しそうに。
モノの適正量は、考え方は、人によってさまざま。
特に、夫は思い出の品を大切に持っていたいタイプで、
それをミニマリストかぶれの私が糾弾する、というのは、やはり問題があったと振り返って反省しています。
家族との関係を悪化させてまで、ミニマリストを貫くのはいかがなものか?
と思い、
その点からも、家族と住んでのミニマリストはむずかしい、と感じました。
子育ては無限の作業の連続
子育てや家事は、とにかく、1日中モノとの戦い。
洗濯物、おもちゃ、おむつ、ミルク、食材、洋服、食器…
ものが増えるほど、作業は増えます。
それを痛感してるから、子育て主婦がミニマリストに傾倒し、どうにかもっと、すっきりした仕組みを作りたい、すっきりした生活にどうしようもなく憧れる、と思うのは自然の真理。
私も、モノに振り回されることに、1日の大半の労力を費やして、疲れている現実をどうにかしたい、と思っていました。
でも、まず、持ち物を減らしてミニマルな部屋にするなら、
徹底した「仕組み」作りを、することが不可欠なんですよね。
行き当たりばったりで、ミニマリストになるのは無理。
ミニマリストになるための、「仕組み」「導線」を、緻密に企画し、その企図に合わせて、粛々と断捨離なりを進行していく。
それが、たぶん、正しいミニマリストになる方法なんです。
でも、そんな緻密で完璧な設計図を描けるか?というと、
ただでさえ余裕も時間もなく、さらに片付けセンスも能力もゼロな人間が、描けるわけがない。
できるのは、ただやみくもに、目につくものをどんどん捨ててみることぐらい。(しかも家族と喧嘩しながら)
ミニマリストになるには、やはり、収納や整頓についての知識が必要。
子育て中に、急に思い立って、ゼロからミニマリストになるのは難しい。
ゆっくりゆっくり、自分の生活を振り返りながら、
ちょっとずつ実力を蓄えていって、
そこから、子供が手を離れるようになってから、ミニマルな生活をめざしていくのが良いかなと思います。
いまは子供の成長を一番に、カオスも受け入れて、生きていこうと思います。