シンプルライフに憧れた過去
私は、怒涛の子育てを始めて、あまりに独身時代とは違う混沌とした生活の中で、
シンプルライフやミニマリストの生活に非常に憧れ、そういうライフスタイル本やブログを読み漁った過去があります。
- すっきりした部屋
- 余計なものを持たない暮らし
- 少数の人間関係
ごちゃごちゃしていない、シンプルでクリアな生活。
そんな生活が送れたら、きっと自分のことが好きにある。
ストレスも少なくなる。
私のめざすものはこれだ。
確信し(?)、部屋の中を断捨離しまくったり(キーキー言いながら)、インスタ削除しまくったり、食器を処分したり、色々なことをしました。
そして、人間関係も、とにかくシンプルに。
- 嫌いなひととは関わらない。
- 疲れる人とは接さない。
そういう方向で、日々を過ごしました。
傍目には部屋もすっきり、スマホの中身もシンプル、人間関係も身軽。
そうなっても、
相変わらず私の心の中は混沌としていて、育児ストレスは減りませんでした。
へんだな。
どうして。
こんなにすっきりしたシンプルな暮らしを実践してるのに。
そう思い、心の中は相変わらずざわついていました。

シンプルでない、心の中身
部屋とかスマホの中身をシンプルにしても、結局すっきりしない。
心のモヤモヤは晴れない。
そのとき
私はシンプルライフという響きの良さに逃げて、肝心なことから目をそらしてるのでは?
と思いました。
そうです。
心が置き去りのまま、シンプルっぽさを目指しても、
心が追いついかず、いつまでたっても心はすっきりしないまま。
もっと、表面的なシンプルさではなく、自分の心の声に耳を澄ませよう。
そう思って、注意深く
「今の自分の、心のありよう」
を観察してみることに。
そうすると、見えてきたのは強迫観念。
その頃、私は「自分は子育て苦手」と思う出来事が多く、子育て全般に苦手意識を常日頃持つようになっていました。
子供への愛情も足りてないのでは、といつも不安で。
そんなとき、シンプルライフに出会って、
「シンプルライフを実践して心地よい暮らしを実践すれば、子育てでつまずいている分を巻き返せるのでは」
と思ったのですね。
当時は、そこまで深掘りせず、ただシンプルライフの素敵さに憧れて盲信していましたが、冷静になって振り返ると、いちばんはじめの気持ちは
「子育てをちゃんとやれていない」
という不安から来ているものだった気がします。
部屋やライフスタイルをシンプルにすれば、何かがきっと好転する、私も自分のことが好きになる、と思って、必死にシンプルライフを追求していました。
でも、、
自分自身の問題を置き去りにしたまま、いくら部屋を片付けても、人間関係をシンプルにしても、なにも解決しませんでした。
シンプルにすべきは、自分の心の中。
そう覚悟を決めて、自分の心に向き合ったとき、初めて
「シンプルな私」
に近づけた気がします。
具体的にいうと、まずは自分に休息を与えました。
そして、得た余裕で、子供たちをじっくり観察し、子供たちの声にきちんと耳を傾けました。
子供たちの声に落ち着いて耳を傾けられたとき、やっと、ふわっと、自分をがんじがらめに縛っていた罪悪感とか不安とか自信のなさとか、混沌とした暗いものに光が当たって、気持ちが軽くなった気がしました。

シンプルは余裕である
たぶん、シンプルライフの肝って、「余裕を持つこと」だと思うのです。
暮らしをシンプルにすることで、気持ちや時間に余裕が生まれて、自分に優しくできて、人に温かいまなざしを送れる。
私も、シンプルライフにすることで、てんてこ舞いな家事や育児や仕事にあふれた生活に余裕を持ち、優しい気持ちでいたかったのだと思います。
でも、まずはその前に、自分の中の混沌の本質と向き合うこと。
それが大事。
問題の本質と向き合えたことで、逆に、ぐちゃぐちゃな部屋の中にいても、私の気持ちはすっきりしました。
むやみにシンプルライフという響きの良い言葉に踊らされることなく、
「自分が本当に求めていること」
に真摯に向き合うことがなにより大事と、シンプルライフに試行錯誤した末に気づいたことでした。
なので、自分がシンプルライフに憧れて、でも、うまくシンプルライフを送れていない、思っていたのと違う、と思うことがあったら、まずは自分の身近な問題にスポットライトを当ててあげると良いと思います。
そこに、自分らしい生き方、ライフスタイルへの大事なヒントが隠されているはず。